デリダは、「ハイデガー 存在の問いと歴史」講義・第1回(1964年11月16日)で、ヘーゲル「哲学史講義」とハイデガー「存在と時間」が類似している、と言っている。
 ハイデガーは、ヘーゲルが否定的に使った論駁に対して、解体を肯定的に使ったようだ。
 トマ・デュトワの「編者による覚書」によれば、1960年代の中頃、デリダは、ハイデガーのDestruktion(解体)のフランス語訳として、deconstruction(脱構築)を退け、sollicitation(揺るがし)、ebranlement(揺り動かし)を好んでいたという。

ヘーゲル「哲学史講義」
哲学の歴史は、一方では諸原理の限界を、(論駁によって)否定的な側面を示しているが、他方ではそれらの肯定的な側面を示している。

ハイデガー「存在と時間」
しかし、解体は過去を無(無価値なもの)に埋もれさせようとするのではない。解体は肯定的な意図を持っている。

ヘーゲル「哲学史講義」1823-1827/28年度
哲学は、その起源を哲学史から取り出すのであり、その逆もまた然りである。哲学と哲学史は、互いが互いの鏡像である。哲学史を研究することが、哲学そのものを研究することであり、とりわけその論理学を研究することである
異なる哲学同士は互いに対立し合っただけでなく、論駁し合った。したがって、次の問いを提起することができる。そのとき、こうした互いに論駁し合うことの意味はどのようなものか、という問いである。その答えは、今しがた述べられたことによって与えられる。すなわち、論駁可能なのは、〈〈理念〉の一側面ないし何らかの具体的な形式が、今、そして時間全体を通して、最高の形式とみなされている〉という命題でしかないということである。それは当時において最高の形式だった。しかし、精神の活動を進化のように考えるならば、それは降下し、最高の形式であることをやめ、そのようなものとしてはもはや認められず、ある意味で次の段階への一契機としてしかみなされない。〔こうした論駁の過程において〕内容が論駁されたわけではない。論駁とは、ある規定を従属させることで、それを下位の系列へと位置づけることでしかない。こうして、いかなる哲学的原理も失われずに、すべての原理が後に続くもののなかで保持されるのである。それらは、占めていた場所を変更したにすぎない。この論駁は、あらゆる発展において生じる。たとえば、水が胚芽から芽生えるときのように。たとえば、花は葉の論駁である。花は木の真にして最高の実在であるように見える。しかし花は果実によって論駁される。最後に来る果実は、先行したすべてのものを、それよりも以前に展開された力のすべてを内包する。果実は、前の段階によって先行されなければ実現不可能である。〔こうした胚芽、葉、花、果実のような〕自然的な諸実在においては、これらの諸段階が分かれている。というのも、一般的な意味での自然は分割の形式で存在するからである。〔その一方で〕この連続、この論駁は精神のうちにも実在するが、しかし〔精神においては〕、先行された諸段階は統一のうちにとどまる。それゆえ、最後の新しい哲学は、それよりも前の哲学の諸原理を含んでいるに違いなく、またそれゆえにそれは最上位の哲学なのである。
したがって、最後の、最も新しい哲学とは、それ以前の諸々の哲学の諸原理を内包していなければならないのであり、だからそれは最上位の哲学なのである。そのため、論駁することは、正当化するよりも、すなわち何らかのものに肯定的なものがあることを考慮したり強調したりするよりも容易である。哲学の歴史は、一方では諸原理の限界を、否定的な側面を示しているが、他方ではそれらの肯定的な側面を示している。諸原理の否定的な側面を示す以上に容易なことなど何もない。その否定的側面が見いだされるとき、われわれはみずからが裁くものの上にいることを確認することで満足してしまう。そこでは虚栄心が満たされているのである。確かにわれわれはみずからが論駁するものを越え出ている。だが越え出ているとしても、そのなかに浸透してはいない。ところで、肯定的な側面を見いだすには、対象に浸透し、その正しさを証明したのでなければならない。それはまさに対象を論駁することよりも難しいのである。したがって、諸々の哲学が論駁されるかぎり、やはりそれらが保存されることは間違いないだろう。そのうえ、あらゆる哲学が論駁されるにもかかわらず、いかなる哲学も論駁されたのではないといえる。とはいえ、論駁されたものとは原理ではなく、原理が究極のもの、絶対的なものであること、それがそのものとしてひとつの絶対的な価値を持つということが論駁されたのである。つまり、それは原理を全体のうちのひとつの規定された契機へと引き下げることである。したがって、原理は消滅するのではなく、それが絶対であり、究極であるという形式だけが消えるのである。

https://taradajko.org/get/books/sein_und_zeit.pdf
SEIN UND ZEIT VON MARTIN HEIDEGGER
§ 6. Die Aufgabe einer Destruktion der Geschichte der Ontologie

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Dieser Nachweis der Herkunft der ontologischen Grundbegriffe, als untersuchende Ausstellung ihres ≫Geburtsbriefes≪ fur sie, hat nichts zu tun mit einer schlechten Relativierung ontologischer Standpunkte. Die Destruktion hat ebensowenig den negativen Sinn einer Abschuttelung der ontologischen Tradition. Sie soll umgekehrt diese in ihren positiven Moglichkeiten, und das besagt immer, in ihren Grenzen abstecken, die mit der jeweiligen Fragestellung und der aus dieser vorgezeichneten Umgrenzung des moglichen Feldes der Untersuchung faktisch gegeben sind. Negierend verhalt sich die Destruktion nicht zur Vergangenheit, ihre Kritik trifft das ≫Heute≪ und die herrschende

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Behandlungsart der Geschichte der Ontologie, mag sie doxographisch, geistesgeschichtlich oder problemgeschichtlich angelegt sein. Die Destruktion will aber nicht die Vergangenheit in Nichtigkeit begraben, sie hat positive Absicht; ihre negative Funktion bleibt unausdrucklich und indirekt.
Im Rahmen der vorliegenden Abhandlung, die eine grundsatzliche Ausarbeitung der Seinsfrage zum Ziel hat, kann die zur Fragestellung wesenhaft gehorende und lediglich innerhalb ihrer mogliche Destruktion der Geschichte der Ontologie nur an grundsatzlich entscheidenden Stationen dieser Geschichte durchgefuhrt werden.

ハイデガー「存在と時間」
第六節

存在論の創設的概念の系統に関するこの研究[Nachweis der Herkunft: 出所の探求、裏付け]は、それらのGeburtsbrief[貴族の証明書、出生証明書、身分証書、出自の標]の提示[Ausstellung: 展示、開示]として、存在論的見地の悪しき相対化とは何ら共通のものを持たない。この解体はまた、Abschuttelung〔振り切ること〕の否定的な意味ではほとんどない。この解体はつまり、そのような存在論的な伝統の破壊という否定的な意味をほとんど持っていない。それどころかこの解体は、その肯定的な可能性において、つまりつねにその限界において伝統を測量し、見積もるべきである[ab-stecken〔境界線を確定する〕]。その限界は、そのつどの問題系に対して、そのつどの問いの提起、問いの立て方によって、そしてこうして可能な研究領域に定められた限界画定によって、事実的にそのつど与えられる。解体が否定的な仕方で向けられるのではまったくない。批判は今日に対して、今日優位にあるような存在論の歴史の取り扱いに対して、当てられている。この取り扱いが学説史であれ、思想史であれ、問題史であれ、である。しかし、解体は過去を無(無価値なもの)に埋もれさせようとするのではない。解体は肯定的な意図を持っている。その否定的な機能は表立っておらず間接的なままにとどまるのである。
 存在論の歴史の解体は、存在の問いに本質的に属し、この問いのなかでしか可能ではないのだが、存在の問いの原理的な練り上げを目論むこの論の枠内では、存在論の歴史の解体は、原理的にこの歴史の決定的な段階にとどまることしかできない。