枡田啓三郎、野田又夫が、カントとヒュームの関わりに言及している。
 前者は、リスボン地震、スウェーデンボルグも出てくる。
 カントは「視霊者の夢」で「霊界のような超越的世界の認識は、不可能で不必要である」と言っていたという。柄谷行人は、現在「貨幣には霊の力がある」と言っているが、霊界と同様、超越的な言説だと思う。

枡田啓三郎「解説 カントの生涯」『世界の大思想10』(河出書房)
また地震に関する三つの論文にしても、一七五五年十一月ポルトガルの都リスボンに起こった大地震を機縁としてなされた自然科学的考察であるにはちがいないが、ここでもカントは冷静な自然科学者の目をもって地震を機械的な自然の現象として眺め、これを神の罰であるとするいわゆる天譴説を排するとともに、それをまた神の摂理として道徳的にこれを認めてさえいるのである。
理論哲学の面ではクルージウスやダランベールやロックやヒュームが、実践哲学ではハッチソンやシャフツベリ、わけてもルソーが大きい影響を与えた。
人々がこの山師の占いを信ずるのを見て、カントは『山師コマルニッキに関する感想』および『頭脳の疾患についての試論』を草して世人をいましめたが、一七六六年には、スエーデンの神秘家スエーデンボルグの奇蹟的な視霊体験を批評する諷刺的な一篇『視霊者の夢、形而上学の夢によって解かれたる』をあらわし、霊界というような超越的な世界の認識は不可能であり、また不必要であることを強調し、超越的認識としての従来の形而上学も同様の夢想にほかならぬとし、これにたいする不満を表明した。

『世界の名著32』(中央公論社)
野田又夫「カントの生涯と思想」

 けれどもカントの「勉強」をいったんやめた時分に、むかし若いカント講師の講義を聴いたヘルダーの述懐の文章が目にとまった。
「ライプニッツ、ヴォルフ、バウムガルテン、クルージウス、ヒュームの考えを吟味し、ニュートン、ケプラーその他の自然学者の説く自然法則を追求するとともに、その同じ精神で、彼は当時現われつつあったルソーの諸著すなわち『エミール』や『エロイーズ』を、また最近知った新発見の自然の事実を、とりあげて評価し、そして話を常に、自然のありのままの認識と、人間の道徳的価値とへ、もどしていくのだった。」
この考えすなわち懐疑論を鋭い分析によって導き出したヒュームの議論が、カントにつよい印象を与えた。後年『プロレゴーメナ』の序言で、ヒュームの警告がカントを「独断のまどろみ」から覚ましたといっているのは、おそらく一七七二年の上の手紙の直後のことであったろう。
この手紙の後の長い吟味においてカントがとりあげたのはヒュームの因果性についての分析であった。ヒュームは、第一に原因と結果との間に論理的必然性はないことを示し、第二に原因にあたる出来事の知覚と結果にあたる出来事の知覚との間に両者の必然的関係をわれわれは知覚していないことを示す。そしてよく見ると、原因から結果を期待するわれわれの考えは、二つの出来事が時間的に相伴って起こる(原因にあたる出来事が起こるとそれにつづいて結果にあたる出来事が起こる)という経験をくりかえした結果、われわれがもつに至る想像力の習慣にすぎない、とヒュームはみとめるのである。
カントは上の第一および第二の点をヒュームとともにみとめる。
カントではヒュームのように習慣的に働く想像力でなく、知性の規則に従って知覚の材料を綜合する想像力が立てられる。

 カントは、確かに「プロレゴメナ」で、ゲッチンゲン学報掲載の批評への反論をしている。

カント「プロレゴーメナ」
付録 学問としての形而上学を実現するために生じうることについて
『純粋理性批判』について、その探究に先行して下された、判断の見本

 一七八二年一月十九日のゲッチンゲン学報の付録の第三部四〇ページ以下に、そのような判断が見いだされる。
 自分の著作の対象に精通しており、その取り扱いに、まったく自分自身の考察をあてようと熱心であった著者が、もし、著作の価値もしくは無価値が本来それにもとづいている動機を探知するのに十分なほど鋭敏であり、言葉にこだわらずに本題に向かい、著者が出発点とした原理だけをより分けて吟味する、そういう批評家の手にかかると、その判断の厳しさは、たしかに著者にとっては気に入らないであろうが、読者はその場合に得るところがあるから、それに対して無頓着である。それに著者自身にしても、専門家によって早く吟味されたあとで自分の論文を訂正し、あるいは解明し、そのようにして、根本においては自分が正しいと信じるならば、自分の著作に、結局は不利益になりうるであろう、つまずきの石を遅くならぬうちに除去する機会を手に入れることに満足できるのである。