カントは、1781年に「純粋理性批判」第一版を書いた後、1783年の「プロレゴメナ」でヒュームに言及している。その序言の「原因と結果の結合の概念は、ヒュームが考えたように経験から導き出されるのではなく、純粋な悟性から発していると確信した」という言葉が、端的にカントのヒュームとの相違を表している。
 ドイツ語原文のErfahrungが、英訳でexperience、日本語訳で経験となっている。
 ヒュームが、元々、実験(experiment、ドイツ語もExperiment)と言った箇所が、ドイツ語で、誤って、経験(Erfahrung)と訳された可能性はないだろうか。
 カントが、経験や実験よりも、悟性を重視した事に変わりはないだろうと思うが。

http://www.fh-augsburg.de/~harsch/germanica/Chronologie/18Jh/Kant/kan_pr00.html
Ich suchte mich ihrer Zahl zu versichern, und, da dieses mir nach Wunsch, namlich aus einem einzigen Prinzip, gelungen war, so ging ich an die Deduktion dieser Begriffe, von denen ich nunmehr versichert war, das sie nicht, wie H u m e besorgt hatte, von der Erfahrung abgeleitet, sondern aus dem reinen Verstande entsprungen sein.

http://web.mnstate.edu/gracyk/courses/phil%20306/kant_materials/prolegomena1.htm
Prolegomena to Any Future Metaphysics
I sought to ascertain their number, and when I had satisfactorily succeeded in this by starting from a single principle, I proceeded to the deduction of these concepts, which I was now certain were not deduced from experience, as Hume had apprehended, but sprang from the pure understanding.

そして、この仕事は私が望んだとおりに、すなわち唯一の原理から成しとげられたので、私はこれらの概念の演繹へとすすみ、これらの概念について、ヒュームが気づかったようにこれらは経験から導き出されたのではなく、純粋な悟性から源を発していることを今や私は確認したのである。

カント「学問として現われうるであろうすべての将来の形而上学へのプロレゴーメナ(序説)」
『世界の名著32』(土岐邦夫・観山雪陽訳、中央公論社)

序言
 ロックとライプニッツの『試論』以来、というよりむしろ形而上学の発生このかた、その歴史がたどれるかぎりにおいて、この学問の運命に関して、デイヴィド・ヒュームがそれに加えた攻撃よりも決定的となり得たようないかなる出来事も生じなかった。彼はこの種の認識にいかなる光ももたらしはしなかったが、もし燃えやすい火口に触れ、そのほのかな光が注意深く保たれ、強められるなら、おそらく光をともしうるような火花を彼は点じたのである。
 ヒュームは主として形而上学の唯一の、しかし重要な概念、すなわち原因と結果の結合の概念〔したがってまた力や作用などの派生的概念〕から出発し、そしてこの概念を自分の胎内で生み出したのだと、かりそめにも申し出る理性に対して、どんな権利でもって、或るものは、それが置かれると他の或るものが必然的に措定されねばならぬ性質のものでありうると理性が考えるのか、彼に弁明し、答えるよう要求した。
まず彼は、そのような結びつきをア・プリオリに、概念から考えることは理性にとってまったく不可能であることを反論の余地なく証明した。
そして、このことから、理性はこの概念についてことごとくみずからを欺いている、つまりこの概念は想像力の私生児にほかならないのに、誤って理性自身の子と見なしている、と彼は推論した。
さらにこのことから、理性はそのような結合を一般的なかたちでさえも考える能力をまったく持たない、と彼は推論した。
〔1〕それにもかかわらず、ヒュームは、まさしくこのような破壊的な哲学そのものを形而上学と名づけて、これに高い価値を与えた。

 ヒュームの結論がいかに性急で正しくないものであったにしても、ともかく少なくともその結論は探究にもとづいたものであり、これらの探究は、彼の時代の秀れた頭脳が協力して、課題をヒュームが提示したような意味で、できればもっと都合よく解決するよう努めるのに十分値するものであった。
 ところが、昔から形而上学に好意的でない運命は、ヒュームがだれからも理解されないよう望んだ。彼の反対者たち、リード、オスワルド、ビーティ、最後にプリストリーさえもが、いかに彼の問題点をまったく見誤ったか、つまりいつも彼らはヒュームがまさしく疑ったものを承認されたものと見なし、逆に彼がけっして疑おうと思いもしなかったことを厳しく、たいていはきわめて思いあがった態度で証明して、改良への彼の暗示を見損い、そのために何ごとも起こらなかったかのように、万事が古い状態のままに止まったのを見ると、われわれは或る苦痛を感じないではいられない。
というのは、この点についてはヒュームはけっして疑ってはいないからである。
この問題についてヒュームは解明を期待したのである。
 ところが、この有名な人物の反対者たちは、課題を満足に解決するには、純粋な思考にのみたずさわっているかぎりでの理性の本性にきわめて深く透入しなければならなかったが、それは彼らに工合が悪かった。
しかし、私は、ヒュームはビーティと同じように健全な常識を自負することもできたはずだ、それどころかさらにビーティがたしかに所有していなかったもの、すなわち批判的理性を自負できたはずだと考える。
 私は正直に認めるが、デイヴィド・ヒュームの警告がまさしく、数年前にはじめて私の独断的まどろみを破り、思弁的哲学の分野における私の探究にまったく別の方向を与えたものであった。といっても、私はけっして結論についてヒュームに耳を貸さなかった。彼の結論は、彼が自分の課題を全体として思い浮かべず、ただその一部分だけに思い当たったことに由来するが、課題の一部分は全体を考慮に引き入れなければいかなる教示も与え得ないのである。われわれが他人が後に残した、まだ仕上げられてはいないにせよ基礎のしっかりした思想から始めるなら、たえまない考察によって、あの鋭敏な人が達したよりも、さらに進歩することを十分期待できる。もちろん、この光の最初の火花についてこの鋭敏な人にわれわれはお陰をこうむっているのである。

Prolegomena zu einer jeden kunftigen Metaphysik die als Wissenschaft wird auftreten konnen,
von Immanuel Kant.

[ V o r r e d e ]
Ich versuchte also zuerst, ob sich nicht H u m e s Einwurf allgemein vorstellen liese, und fand bald: das der Begriff der Verknupfung von Ursache und [14] Wirkung bei weitem nicht der einzige sei, durch den der Verstand a priori sich Verknupfungen der Dinge denkt, vielmehr, das Metaphysik ganz und gar daraus bestehe. Ich suchte mich ihrer Zahl zu versichern, und, da dieses mir nach Wunsch, namlich aus einem einzigen Prinzip, gelungen war, so ging ich an die Deduktion dieser Begriffe, von denen ich nunmehr versichert war, das sie nicht, wie H u m e besorgt hatte, von der Erfahrung abgeleitet, sondern aus dem reinen Verstande entsprungen sein. Diese Deduktion, die meinem scharfsinnigen Vorganger unmoglich schien, die niemand auser ihm sich auch nur hatte einfallen lassen, obgleich jedermann sich der Begriffe getrost bediente, ohne zu fragen, worauf sich denn ihre objektive Gultigkeit grunde, diese, sage ich, war das schwerste, das jemals zum Behuf der Metaphysik unternommen werden konnte, und was noch das Schlimmste dabei ist, so konnte mir Metaphysik, so viel davon nur irgendwo vorhanden ist, hiebei auch nicht die mindeste Hulfe leisten, weil jene Deduktion zuerst die Moglichkeit einer Metaphysik ausmachen soll. Da es mir nun mit der Auflosung des Humischen Problems nicht blos in einem besondern Falle, sondern in Absicht auf das ganze Vermogen der reinen Vernunft gelungen war: so konnte ich sichere, ob[15]gleich immer nur langsame Schritte tun, um endlich den ganzen Umfang der reinen Vernunft, in seinen Grenzen sowohl, als seinem Inhalt, vollstandig und nach allgemeinen Prinzipien zu bestimmen, welches denn dasjenige war, was Metaphysik bedarf, um ihr System nach einem sicheren Plan aufzufuhren.

 そこで私はまず、ヒュームの異論が一般的に示され得ないかどうかを試みた。そしてすぐに、原因と結果の結合の概念は、けっして悟性がそれによって物のあいだの結合をア・プリオリに思考する唯一の概念ではないこと、むしろ形而上学はまったくそれらの概念から成り立っていることを見いだした。
そして、この仕事は私が望んだとおりに、すなわち唯一の原理から成しとげられたので、私はこれらの概念の演繹へとすすみ、これらの概念について、ヒュームが気づかったようにこれらは経験から導き出されたのではなく、純粋な悟性から源を発していることを今や私は確認したのである。この演繹は私の鋭敏な先駆者には不可能にみえたし、彼以外のだれも思いつきもせず、それでいてだれもが安心してこれらの概念を用い、その客観的妥当性がいったい何にもとづくのか問いもしなかったが、この演繹は、あえて私はいうが、これまで形而上学のために企てられた最も困難なものであった。
ところで、私はヒュームの問題の解決を、単に一つの特殊な場合だけでなく、純粋理性の能力全体について達成したので、最後に純粋理性の範囲全体を、その限界についても内容についても、完全に、普遍的原理にしたがって規定するために、私はいつもゆるやかにではあるが確実な歩みをなすことができた。

 しかし私は、できるだけ広範に拡大した形での〔すなわち『純粋理性批判』での〕ヒュームの問題の仕上げが、問題そのものがはじめて提示されたときに起こったのと同じような成り行きになりはしないか気がかりである。
しかし、この『序説』は、かの『批判』がまったく新しい学問であり、いまだかつてだれもそれについて思いも抱かなかったし、その理念さえも知られなかったものであり、それに、ヒュームの疑いが与えた暗示だけを例外として、ほかのこれまで与えられたものすべてが、どれも役に立ち得なかったことを、読者に見抜かせるようにすることができるだろう。ヒュームにしても、このような可能な、整った学問についてなんら予感せず、自分の船を安全にするために海岸〔懐疑論〕に乗り上げたのであり、船はそこでそのままになって朽ち果てるかもしれないのである。
 デイヴィド・ヒュームのように精密でしかも同時に魅惑的に書くこと、あるいはモーゼス・メンデルスゾーンのように堅実にそれでいて優雅に書くことはだれにでもできることではない。