論衡・儒疂咾力舛慮正擴媾蠅任△襦
 白雉は、650年〜654年の日本の元号だが、典拠は『漢書』巻12平帝紀「元始元年(1年)正月越裳氏、重訳献白雉」だという。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%89
 越裳はベトナムらしく、論衡、漢書、共に白雉を献上している。
 鳥越憲三郎氏は、倭と越が同一と考えたようだが、史料上、ほとんど別に扱われていると思う。
 論衡で、倭について同様の記述が何度もあるのは、同じ伝承を伝える複数の文書を検討しているからだろうか。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%AB%96%E8%A1%A1/26
論衡 儒疂啾萋鷭熟察〆郤圈Р充
周時天下太平,越裳獻白雉,倭人貢鬯草。

山田勝美『論衡 上』(明治書院)
論衡第八巻 儒畭萋鷭熟
周時天下太平、越裳獻白雉、倭人貢鬯草。
周の時は天下太平、越裳は白雉を獻じ、倭人は鬯草を貢す。
周王朝の当時は天下が泰平で、越裳が白雉を献上し、倭人が鬯草を朝貢した。
〇越裳獻白雉、倭人貢鬯草 異虚篇の注を見よ。

王充「論衡」『中国古典文学大系7 戦国策 国語 論衡』(大滝一雄訳、平凡社)
儒疂咫宗充学者たちの誇大表現――
周のとき天下は太平で、越裳が白い雉を献上し、倭人が鬯草を貢納するということがあった(注四四)。
四四 周のとき……ことがあった 『太平御覧』の四夷部・南蛮によれば、『尚書大伝』(現存せず)に、周公のとき公の南の越裳国(ヴェトナム?)が白雉を献じた、との記事があったという。しかし倭人が鬯草(鬱金)を献じたというのは、どこから出た話なのかわからない。