中上健次「現代小説の方法」で、柄谷行人と共に、石原慎太郎が言及されていた。
 石原で、僕の父について思い出したが、81年の「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に関する注にも興味を持った。
 柄谷による、91年の「湾岸戦争に反対する文学者声明」、2001年の「テロにも報復戦争にも反対する」はリアルタイムで覚えているが、81年の声明への言及は無かった。91年の声明は、柄谷が岩波・朝日文化人(左翼ではある)になって行ったのとシンクロしているかもしれない。
 91年の声明は、与党の公約(81年の声明)に対する、野党のマニフェストのようなものだったのだろうか。
 84年、中上が東京堂で講演していた頃、僕は小樽の大学祭実行委員会の先輩たちの話で、浅田彰、中森明夫という名前を知った。

1936年〜1943年 石原慎太郎、裕次郎が小樽に在住。
            同時期に僕の父一家も小樽にいたが、接触は無かったようだ。
1955年       石原慎太郎「太陽の季節」、芥川賞。
1958年       大江健三郎「飼育」、芥川賞。
1975年       中上健次「岬」、芥川賞。
1981年       「核戦争の危機を訴える文学者の声明」
1984年〜1989年 僕が小樽に在住。
1987年〜1988年 石原慎太郎、運輸大臣。
            秋田空港長だった僕の父は、石原と会ったという。
1991年       「湾岸戦争に反対する文学者声明」(柄谷行人・中上健次ら)
2001年       「テロにも報復戦争にも反対する」(柄谷行人)
2003年       衆院選で各政党がマニフェストの冊子を作成。
2012年3月     柄谷行人・高澤秀次 東京堂書店、僕は厚木から参加。
            http://makorin.blog.jp/archives/52140834.html
     6月13日  僕の父が旭川で死去。
     6月15日  父の葬儀。16日の柄谷を見る為に、この日にした。
     6月16日  柄谷行人・池田雄一「政治と思想」 朝日カルチャーセンター・新宿
            旭川から参加。秋葉原の吉沢明歩のイベントに行って、遅刻。
            http://makorin.blog.jp/archives/52140861.html
2018年12月    柄谷行人・苅部直「批評、書評、そして坂口安吾」東京堂書店
            千歳からの飛行機が遅れ、参加せず。

中上健次『現代小説の方法』(2007年、高澤秀次編、作品社)
「主人公について」
最近エイズとか――柄谷行人▶49は僕を物語のエイズ▶50だと言うんだけど、これを突破できるということを彼は言ったんだけど、難しいですよ、突破するのは。
Q:さっき、作者が傷を受けて表現するとおっしゃったんですが、柄谷行人さんなんかだったらそれはロマン主義だと言うと思うんですけど。
A:柄谷が僕の言ってることを、そういうふうに言うはずはないよ。
(一九八四年五月二十一日、東京堂書店神田本店六階文化サロン)
▶49 柄谷行人 一九四一年生。批評家。一九六九年に「〈意識〉と〈自然〉」で文芸批評家としてデビュー以降、『マルクスその可能性の中心』、『探究』、『トランスクリティーク』などの著書によって、現在まで一貫して日本の思想・哲学、マルクス主義批評、文芸批評などを牽引しつづける。中上健次との親交は、プライベートでもきわめて深く、フォークナーとの共通点を指摘するなど、作品上でも相互に強い影響を与えあった。中上の没後十五年を数える今日でも、かつて中上が牽引した「熊野大学」に、浅田彰、渡部直己、高澤秀次らと参加を続けている。
▶50 物語のエイズ 『批評とポストモダン』、『坂口安吾と中上健次』に所収の批評より。初出は八三年の「群像」。
▶70 核の傘の下に文学は可能か アメリカ・レーガン政権の発足以降の軍拡に危機感を感じ、一九八一年に小田実、中野孝次らによって提唱された「核戦争の危機を訴える文学者の声明」のこと。ほかに井伏鱒二、井上ひさし、小田切秀雄、埴谷雄高、本田秋五、藤枝静男、安岡章太郎、吉行淳之介、大江健三郎ら三十六人が呼びかけている。ちなみに女性作家は、林京子、住井すゑら四人しかいない。

「構造について」
そういうことは柄谷(行人)に任す。
 あの人とは、確か二十一、二で初めて会ったんです。会って、この間まで何年間もあいつと話していて、石原慎太郎が柄谷行人に会いたいというので、橋渡ししたんですね。柄谷行人は、石原慎太郎の小説がものすごく良いと、それまで何にも言ってなかったんだけど、小説のファンだったと。俺は昔バスケット部にいた、それは石原慎太郎の影響だとか言い始めて(笑)。ほとんど僕に関係ない。石原慎太郎は、あの人は江藤淳に無意識過剰と言われた人なんですね。あの人も面白いんです。一緒に喋っていると、僕が一言二言言う前に、あの人は千倍くらい喋ってるんです。それが面白いから、ああそうと聞いているんだけど、その慎太郎を前にして、慎太郎が啞然とするぐらい喋りまくって、喋っているとあいつもの食べないんです。前にあるものが分かんなくなっちゃうんですね。ビール、ワイン、日本酒飲んで、一時間後ぐらいにはぐでんぐでんになっちゃって、しばらく俺の顔は見れないはずだよ彼奴は。そういう人だけど、マルクスだとか貨幣だとか面倒くさいことをやる人なんですね。そういう頭の人に私は物語論と資本論とか、スライドするのは任せるんです。
(一九八四年五月二十八日、東京堂書店神田本店六階文化サロン)

「三島由紀夫をめぐって」
▶5 マルクス主義という、一つの病 柄谷行人の言を借りれば、マルクスが『資本論』ほかで語った商人資本とは、世界「交通」と不可分なものでもあった。
(一九八五年十一月十三日、パリ、高等師範学校)

高澤秀次「編者解説」
「エスパース・デポック」(時代空間)と銘打たれたこの公開講座は、東京堂書店が、変容する出版文化状況に対応したイベントとして、一九八四年に企画したもので、中上を含め九人の講師陣によって行われた。同書店六階のサロンに四、五十名の受講者を集めて、各講師がそれぞれのテーマで週一度、二時間の講座を四回受けもつという趣向である。講師陣には、中上健次のほかに谷川俊太郎、浅田彰、古井由吉、蓮實重彦、赤瀬川原平、岩井克人、柄谷行人、沢木耕太郎(担当順)の各氏が名を連ねていた。
 本書巻末に付した「中上健次氏の本棚――物語/反物語をめぐる150冊」は、右連続講座と並行して行われたブックフェアのためのリストである。因みに同じ時期に、「ポスト構造主義をめぐって」を担当した「浅田彰氏の本棚――構造主義/ポスト構造主義をめぐる150冊」、翌年五月〜六月に「ヴィトゲンシュタインとマルクス」を担当した「柄谷行人氏の本棚――モダン/ポスト・モダンをめぐる200冊」も、同書店内に「エスパース・デポック図書館」として展示された。
さらにそこから、いま一度の旋回を試みたのが、湾岸戦争に際しての柄谷行人らとの「文学者の戦争反対声明」である。

八五年十一月「三島由紀夫をめぐって」フランス・パリ、高等師範学校
▶1 講師には中上の他に、柄谷行人、吉田喜重、中沢新一、浅田彰の各氏が招聘された。