2020080417090000

 古事記序が、五経正義表に依拠していることを指摘したのは、倉野憲司・志田延義・藤井信男だという。
 本居宣長、倉野憲司は、序を文面通り、安万侶の作と考えているが、賀茂真淵、中沢見明らによる、後人の作という説が、現在、有力のようだ。
 偽書というが、神話、説話、伝承に真偽があるのだろうか、とも思う。
 僕は、宋史日本伝の王年代紀に記述されているという記事から、天御中主から彦瀲尊まで、神ではなく王だったのではないか、と考えている。

倉野憲司「古事記 解説」
『日本古典文學大系1 古事記 祝詞』(昭和33年、岩波書店)
 古事記の成立事情がわかる唯一の資料はその序であるが、この序を後人の偽作とした人がある。その一人は賀茂真淵であり、他の一人は中沢見明氏である。馬淵は明和五年(1768年)三月十三日付けの宣長宛書の中で、この序は和銅以後に安万侶ならぬ別人によって追って書かれたものであろうと推測し、(これに対して宣長は記伝巻二で、「序は安万侶の作るにあらず、後人のしわざなりといふ人もあれど、其は中々にくはしからぬひがこころえなり。すべてのさまをよく考るに、後に他人の偽り書る物にはあらず、決く安万侶朝臣の作るなり。」と駁している。)中沢氏は、「古事記の序文を正精察批判してみるに平安期初期に仮託された文らしい。」(古事記論)と言われた。
 しかし古事記の偽書説は、ひとり序文にのみとどまらず、その本文にまで及んでいる。
しかしながらこれらの偽書説には、明らかに誤りと認められる点や、根拠が薄弱な点が多く、承服することのできないものであることは、拙著「古事記論攷」所収の「古事記偽書論を駁す」において詳論した通りであって、古事記は、その序も本文も、和銅(708年〜715年)に正撰されたものと見て誤りはないといえるのである。
このうち、序文は中国における「表」の形式を襲ったもので、唐の長孫無忌の「進五経正義表」を模範とし、部分的には同じ人の「進律硫議表」をはじめ、文選や書経等の字句を襲用して作られた気品の高い駢儷体の名文である。(観智院本「作文大体」に拠る序文の文章構造は、拙著「古事記序文注釈」について知られたい。)

青木和夫・小林芳規『日本思想体系1 古事記』(1982年、岩波書店)
補注1 表と序(一〇頁)
ところで記のいわゆる序の構成や語句については、唐の永幑四年(六五三)一月に長孫无忌らが奉った上五経正義表や同年十一月に同じく无忌らが奉った進律疏表と、特に関係の深いことが既に指摘されている。
やはり記の表が序として上巻に幷されたのは九世紀以後、恐らくは九世紀の始めではないか。
→補下1・訓補一〇頁二
訓読補注
上表文の文体(一〇頁)
倉野憲司・志田延義・藤井信男はこの序が五経正義表に依拠していることを指摘された。