古澤未知男氏が、なぜ「梅花歌序考」を書いたのかは分からない。
 当時、熊本女子大学教授だったようだが、同じ九州・太宰府での梅花宴に関心があったのだろうか。
 こうして、学術論文を見ていくと、古典文学大系などはやはり一般向けで、澤潟久孝「萬葉集注釋」が学術論文の総括になっている事が分かる。
 王羲之「蘭亭記序」、契沖「万葉集代匠記」、加藤千蔭「万葉集略解」は、既に引用している。

古澤未知男「梅花歌序考」
 先づ典據について述べる。順序上古人の註釋を拾つて見るに、既に契沖は序文冒頭の「天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也」の句を以て
  此發端ハ義之カ蘭亭記ニ永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰之蘭亭修禊事也トカケルニ倣ヘル歟篇中ニ彼記ノ詞モ見エタリ
  (萬葉集代匠記)
と言ひ、「于時初春令月氣淑風和」「忘言一室之裏開衿煙霞之外淡然自放快然自足」の二節に對し典據として夫々「是日也天朗氣清惠風和暢」「或取諸懐抱……曾不知老之將至」を擧げて居る〔註2〕。文面からすると序文發端は明らかに彼に倣ひ其外序文中彼の語句を取つたものが幾つかあるといふ譯になる。未だ全面的に彼記に倣つたとまでは斷じて居ないと解して良い。
 これに對し加藤千蔭や鹿持雅澄は右の意味に於て更に一歩を進めて居る。即ち兩者とも「忘言一室之裏」を取つて
  忘言は荘子に言者所以在意得意而忘言とあるより出てこゝは打とけて物語などする事をいふ、さて蘭亭敍に悟言一室之内とあるにならへり
  (萬葉集略解)
  忘言一室之裏、荘子得意而忘言、蘭亭記に悟言一室之内などもあり此事を取合せて書けるなり
  (萬葉集古義)
と言ひ、それより直ちに
  此序は始の書きざまよりして蘭亭敍をまなびて書けり(略解)
  此序は王義之が蘭亭記をまねびて憶良の作れるなるべし(古義)
と述べて居る。何れも此序の蘭亭記に因つて居る事を説き其の限りに於て兩書全く同一趣旨に出て居る。但だ此の場合明らかに典據として擧げて居るのは「忘言一室之裏」一つだけである。尤も之は前に代匠記が幾つか擧げて居るので或は省略に從つたとも考へられる。がそれにしても「忘言一室之裏」も勿論代匠記によつて既に指摘せられて居る。必ずしも繁を避けて省略したとのみも言へない。結局契沖は多く典據を擧げ未だ全體の關係に言及せず千蔭・雅澄は全體の關係を述べて典據を略して居る。私が緒言に斷つた本稿の趣旨からすると何れも完璧とは言はれない。況や此外尚擧ぐべき幾つかの典據があり論ずべき種々の問題が残されて居るに於てをやである。
 所で近く武田祐吉博士は
  この序は晋の王義之の蘭亭記を模本としてかれに倣つたと見えて忘言一室之裏快然自足等の句はそれから取つて居る
  (萬葉集新解 三三三頁)
と言つて居られる。而も同博士は萬葉集全註釋では何故か全く此事に觸れて居られない。或は前に「かれに倣つて作つたと見えて」と言はれたのが一層否定的になつたのであろうか。勿論さうではなからうが全註釋が他の部分一層詳細になつて居るのに該箇所だけ簡略になるのは少しく不穏當ではなからうか。
〔註2〕代匠記も初稿本と精撰本とによつて文面可成りの異同がある。そして精撰本の方が自然語彙其他詳しくなつて居る。