新唐書のこの記述が興味を引いた。

新唐書(巻二百二十・東夷) 日本
 日本は、古の倭の奴国である。都長安から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中にある島国である。その国土の広さは東西は歩いて五か月の行程、南北には三か月の行程である。
 国都には城郭がなく、材木を並べて木柵とし、草で屋根をふいている。周辺には五十余りの小島があり、それぞれ勝手に国を号し、日本国に臣下として服従している。王は統括者を一人置いて、諸地方を監督させている。
 日本国の民情は、女が多く男が少ない。文字を用い、仏教を信奉している。官位には十二等級ある。
 国王の姓は阿毎氏、彼がみずから言うには、初代の国王は天御中主と号し、彦瀲に至るまですべて三十二代、いずれも「尊」と呼ばれ、筑紫城に住んでいた。彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
 次は綏靖、その次は安寧、その次は懿徳、その次は孝昭、その次は天安、その次は孝霊、その次は孝元、その次は開化、その次は崇神、その次は垂仁、その次は景行、その次は成務、その次は仲哀という。仲哀が死ぬと、開化の曾孫娘の神功を王とした。
 その次は応神、その次は仁徳、その次は履中、その次は反正、その次は允恭、その次は安康、その次は雄略、その次は清寧、その次は顕宗、その次は、仁賢、その次は武烈、その次は継体、その次は安閑、その次は宣化、その次は欽明である。欽明の十一年は、梁の承聖元年(五五二年)にあたる。

多少既知の内容であったが、記紀神話を神話として語っていない事に驚いた。

古事記 上巻
 宇宙の初め、混沌としたものの中から天と地が初めて分かれた時、高い天上の聖なる世界、高天原に成り出でた神の名は、天地を主宰する天之御中主神、次に万物を生成する霊力をもった高御産巣日神、次に同じ霊力をもった神産巣日神である。この三柱の造化神は、みな配偶をもたない単独の神としてお成りになって、お姿を見せることはなかった。
 次に、国土がまだ形を整えていず、水に浮かんでいる脂のようで、水母のようにふわふわと漂っていた時、春の光さす水辺の葦がすくすくと芽を吹くように、混沌の中からきざし伸びる生命体によって成った神の名は、葦牙の生命力をもった宇摩志阿斯訶備比古遅神、次に天上が恒久に存立するようにと予祝する心をこめた天之常立神である。この二柱の神もまた、ともに単独神としてお成りになって、お姿を見せることはなかった。
 以上の五柱の神は、天つ神の中でも特別に扱われる神である。

「日本書紀」の創世神話では、「古事記」の天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神は登場せず、その次、「古事記」と共通の国常立尊(国之常立神)から記述が始まる。
だが、「書紀」には、一書(第四)に「古事記」と同様の記述があり、本文に高皇産霊尊(高御産巣日神)が登場する事もある。
「書紀」編者は、この五柱の神は「天つ神の中でも特別」であるから、本文での記述を避けたのかもしれない。
名称の末尾が「古事記」が神、「書紀」が尊でもある。

日本書紀 巻第一 神代 上
 また一書(第四)ではこういっている。天地がはじめて分かれるときに、始めて一緒に生まれ出た神があった。国常立尊という。次に国狭槌尊。また高天原においでになる神の名を天御中主尊というと。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。皇産霊――これをミムスヒという。